ワールド・ハーモニー・テラさんでの話(2002/9/7)

〇ワールド・ハーモニー・テラさんでの話(2002/9/7)

テラさんのご厚意で転記させていただきました。



栗田さんお絵描き会&お話し会 9/7(土)

「クリエーションはコミュニケーションそのもの」

・・・お話会での内容をまとめました。




質問》ひとり一人の絵※や墨絵、コンピュータのカラーの絵があったりしますが、(表現や画風は)くるメッセージによって変わるのでしょうか?

メッセージを送ってくれている人が何十人かいるみたいで…その人によって違うみたいです。自分でもまゆつばだ!と思いながら話しているんですけど(笑)。だから僕ひとりで描いている意識は殆どなくて、「僕の作品」とは到底言えない。昔から言っているように、僕自身がテレビ受像機でチャンネルがカシャカシャと変わるだけ。画風が変わりましたね、とか言われても、(情報を)くれる人が違うだけ。こんな説明をすると美術界の人は引いちゃいますけどね(笑)。




「栗田さんこんなにいろいろ描いて、ものを創りだすのに苦しくないの」とか言われるけど全然そんなこと無いんです。そう言うと嫌がられますね(笑)。クリエイティブなことをするのは相当苦しいというのが当たり前に思っている。ま、当たり前だと思っているとそのとおり苦しくなるしね。僕はひたすら描いていればうまくいくぞ、としか思っていないし。






《質問》こんな風に絵を描くのは誰でもできるのでしょうか。(自分は)絵とか全然描いたこと無いし。


それは人生と同じ。「人生生きたことありませんから」と言ってしまうのと同じような気がします。やれば必ず出来る。絵が苦手なら他のやりたいことから手をつければいい。僕は絵を描くのが一番好きだから。一番手をつけやすいところがきっとありますよ。小説を書くとかいろいろ。なにか自分の一番手のつけやすいところ・好きなところ・惹かれるもの、って言う風に。掃除でも良いし、スポーツでも・・。そこから糸口がつかめて一番好きなことをしている状態を体験することによってそれが生活全般に広がると、なにかいろんなものが見えてきたり、いろんな調和的な出来事が起きてメッセージがきたりするんでしょうね。一番やり易いことからはじめるのがいいでしょうね。

イチロー選手みたいに、野球やりながら言ってることは「波動の法則」みたいな人もいますし。オートバイレーサーで「コーナーが先に見えていて予測しながら走っているから速く走れる」っていう人も日本人でいましたしね。だから、好きなことを突き詰めていくとある状態に行くんでしょうね。








この前「クリエーションはコミュニケーションである」という言葉が出てきたんですね。

…ものっていうのは「生まれてくる」という話があって、「僕らがものをつくる」っていうんではなくて自然発生的に生まれてくる。生まれてくるっていうのは「クリエーション(創造)」ですよね。ところがそれは「もの」が生まれてくる前の本質の意識とのコミュニケーションによって生まれてくる。




それをもう少しいろんな意味に移し変えていくと、じゃあこれ(ひとり一人の絵)だって、コミュニケーションの産物なんですね。例えばこのTさんの(ひとり一人の)絵は、Tさんの本質の意識と物質的なTさんと、僕の物質と本質の意識があって、周辺のいろんな時空があって、他にもペンとか紙とかいろいろあって、そういうようなものとのコミュニケーションの結果として、絵が生まれてくる。クリエーションというのは全部、コミュニケーションの総体なんです。これから「もの」として出来てくる本質の意識と、コミュニケーションがうまく出来た時には「もの」が生まれてくる。



だから「あらゆるもの全てが意識をもっている」いう形でコミュニケーションし出していくと、すごく情報がワーッとくるような感じがします。例えばいまかすかにBGMが流れていますけど、このBGMに意識を向ければ聞こえてくるし、この話に集中すればBGMは聞こえなくなる。そういった事と同じで、いろんなところに意識を集中しコミュニケーションをすれば、聞こえてくるし、見えてくる。感じられる。

絵を描くというのはコミュニケーションなわけです。墨絵を描くときには墨があり水があり紙があり空気がある筆もある私の手も眼も体も・・・。それらの全部の共同作業でコミュニケーションの固まりなんです。「クリエーション」というのは生活そのものですよね、毎日いろんなものをつくりだしているわけですから。じゃあ実は「クリエーション=コミュニケーション」ならば、「生きていくことは全部コミュニケーション」じゃないかと。絵を描くとき、相手の言うことを聞く、感じる、考える…全部コミュニケーションなんだと、最近気がついたいうか、そう考えると全部説明がつくんですね。