2019年2月24日に名古屋にて講演会

来年2019年2月24日に名古屋にて講演会を開催していただけることになりました。
もし宜しければご参集いただければ有り難いです。


https://cud.nagoya/event/20190224


【パンフレットより】
栗田氏のメッセージにはいつも、色弱は色覚障害ではなく数ある色覚特性のひとつであり個性と捉える姿勢が貫かれています。色弱とは何か? 色弱の遺伝子が淘汰されなかった謎。そしてヒトの多様性の面白さと生き残り戦術。さらにアート・デザインにおける色弱者の工夫・スキル・心構えなどについて、当事者の経験を元に分かりやすく語っていただきます。色弱者の視点から語るデザイン。アートと色彩のユニークなお話は、とりわけ色弱の子どもへの対応に悩む親たちの心に響くことでしょう。
色弱当事者やそのご家族はもちろん、保育士や教員など教育に携わる方々、そしてアートやデザイン関係者の参加をお待ちしています。
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イサム・ノグチさんの思い出。2003.1月の文を転記

立体のレリーフ・オブジェ(1996〜) 

 一番最初のオブジェはたぶん大学院の時にハマった万年筆のクリップつくりだと思います。これは真鍮の棒を削り出して何本もつくりました。大学院の2年生の時には一年間、いつでも、どこでも、ほとんど常に、寝る以外は、削ったり磨いたりしていました。それが嵩じて、ついには自分の万年筆をわざわざ注文までしてしまいました。作品集(宇宙からの贈り物)に収録されているのがそれです。私のオブジェの原点です。

 建築の学生の頃から、レリーフやオブジェのようなものを描いていました。いくつかは模型のようなものにしました。平面的なものは建築の模型のような感じでした。

96年にはじめての個展をしたときに制作したものは平面的なレリーフです。
 レリーフも自然と「こんな感じ」と出てきます。立体の場合には都市の風景画とは異なり、寸法、角度なども正確に出てきます。その図面を元に家具屋さんに製作してもらいました。レリーフもオブジェも幾何学形態ですので、寸法を決めてしまうとそれで形が一意的に決まります。いわゆる「手に任せるデザイン」の余地はありません。

 数学の問題を解くような壮快感があります。材料が決まると寸法が決まるのも特徴です。私は粗いスケッチしか描いていませんから完成の感じは目では見えません。ですから実際にレリーフが「もの」として現実化すると私にとってはじめて見るようなもので、それは美しいものでした。サンドペーパーで細かい修整をして、色を載せて刷毛目をつけて最終的に私が仕上げるのですが、自分でもうっとりとしてしばしば手を止めて眺めたほどでした。微妙な光と影が何とも言えずきれいでした。


 これらのレリーフがひとつでも公園に置かれると楽しいだろうなぁと思います。作品集には友人のカメラマンのYさんにひとつひとつ丁寧に撮ってもらった写真が使われています。

 株式会社未来さん(現在は株式会社アキュモアさん)から販売されているHSULHENU(スレーヌ:胸にさげるペンダント)のサンプルをはじめて見たときにも感動しました。あまりにも美しくて。自分でいうのも変ですが「究極の形態」と思ったのです。あの形態は、株式会社未来のS社長と電話でお話しているときに出てきたものです。
(2018年現在は販売中止になりました)

 最初の依頼は「人の振動波を調整するアクセサリー」として、二回目は「人の振動波を調整する装置」としてという依頼でした。その二回目の電話が終わるか終わらないうちに、何か頭にツーンとくるものがあり、あっと言う間に描けてしまいました。それまでは、ある条件を設定してデザインをしたことはあまりありませんが、HSULHENUの場合は貴重で不思議な体験でした。多分、S社長さんの本質から私のこの現実の肉体という受信機に情報が送られてきたのではないかと感じています。
 作品集に載せた絵はコンピュータグラフィックスで描いたものです。全くの幾何学形態です。半透明の図をご覧戴ければわかりますが、ウラと表はは半径ゼロの楕円でつながっています。(124P)

 形態は、単純でドーナッツ型の真ん中の穴をゼロにして縦長に潰したような形です。取り立てて、珍しい形のはずがないのですが、私自身はいままでに見たことのない形態でした。過去のスケッチの中にも出てこなかったものです。真ん中の穴がゼロになるところがエネルギーの中心です。
 
 石や鉄のオブジェは様々なご縁で実現しました。ある日岩見沢のTさんというピアノの先生からこんな話がありました。「看板が台風で飛んだので、何か看板になるようなものと思っていたのですが、なんとなく修理しなくて、ほっておいたんです。栗田さんの話を伝え聞いたとき、はっと気がついて、お願いしようと決めたんです」
 なぜ、そのように思ったのかは私には分かりませんが、話はトントンと進み、途中作りなおしもありましたが、結果的には冬のさなかでありながら天気にも恵まれ、無事に設置できました(125P)。


 Tさんにこんな話を聞きました「ある日、聞いたんですよ。名前を教えてねって。そしたら『ピーコ』って答えてくれたんですよ。毎日ピーコちゃんに挨拶するんですよ。ピーコちゃんを見ると気分が明るくなるんです」彼女にとっては黄色い楕円の輪が生き物のように感じられるそうです。
制作していただいたのは札幌の工房松本の皆さんで、松本さんは自らもオブジェをデザイン・制作されるアーティストです。松本さんが低価格で快く引き受けて下さったおかげで「ピーコちゃん」は実現しました。作品集の写真がモノクロで残念です。松本さんには最近網走に設置した青い鉄の輪の制作もしていただきました。

 岡山のFさんに依頼をいただいた黒い石も、不思議なご縁です(126P)。岡山で、Sさんに「栗田のお話会」を開いていただきました。その時にFさんは遅れて来られ、あいているのは私の隣だけでした。それがご縁で気楽に親しくお話をすることができました。
その後、「看板に何かを描いてもらえないか」という話があり、それを私が「オブジェではダメですか?」と逆にお願いして実現したものです。当初の予算を随分越えてしまいましたが、とても喜んでいただきました。

 松山のKさんの玄関先のオブジェはいつも、花を活けていただいているようです。オブジェが毎日水を受け、花を活かしてくれる器になっているのを見たときに、ほのぼのとしたものを感じました(128P)。

 黒と白のオブジェはある場所のために計画されたものです(127P)。立体のオブジェのデザイン・制作は私にとって非常に親しみがあり、深い喜びがあります。129PのOさんの庭の石にも物語がありますが、それは後の機会に譲った方が良さそうです。

 本には掲載できませんでしたが、町田のマンションの玄関部分のオブジェ、川崎のAさんの石のオブジェ。岡山のSさんの石のオブジェ、網走の方の鉄のオブジェ、岡山のTさんの石のオブジェ、滝川のTさんのオブジェ、長沼のPクリニックさんのオブジェも制作しています。

 これらの一連の石のオブジェは札幌に縁の深かったイサム・ノグチさんのご縁で実現したものです。イサムさんのオブジェをその当時に私の勤めていた会社が玄関に置くために購入したりしたのです。そのご縁でイサムさんとともに彼の彫刻を長年彫られてきた香川の和泉さんと知り合うことができ、和泉さんのお力でこれらの作品が実現しました。

 1988年にイサム・ノグチさんと札幌の寿司屋でお話ししたことがあります。その時に私は生意気にも「コンピュータで三次元空間上で彫刻ができると思う」と言いました。イサムさんは「コンピュータはどうも怪しい。私は石の方が好きだ。ものとして安心できる。私が間違っているかも知れないが・・」とおっしゃいました。別れ際に非常に強い力で握手していただきました。いたずらっぽく「私は石工だからね。力が強いんだ」と嬉しそうでした。その年の冬にあっけなく逝ってしまわれました。

まだまだ、立体の仕事は続くような気がします。

2003.1月

*ページ数は作品集のページです。作品集は販売しています。4480円です。
(数年前に作品集は完売しました。申し訳ありません。2018/8/29)

墨で描いた絵 

墨で画仙紙に描いた絵を販売します。
2002年頃の作品です。この頃のプログラムはひたすら「愛」でした。
原画です。大きさは縦約35センチ、横約35センチ
価格は消費税込 4万円(額なし、送料別)です。写真とはかなり印象が異なります。
  ご理解ください。

kuribo-sapporo@plum.ocn.ne.jpまでご注文ください

番号を指定してください。
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